何でもない朝に
不可思議地幼年時
覺得無論何種悲劇都能獲得救贖
不思議と幼い頃には
所以那傢伙死掉的早晨
どんな悲劇も救われる気がして
我並沒有像電影一般哭泣
あいつが死んだ朝には
不知不覺間
映畫みたいに泣けやしなくて
夢境不再
知らない間に
將來之類面子之類
夢は覚めて
察覺到之時
將來とか世間體とか
我們已經變成大人
気が付いたら
卻從沒見過奇蹟
大人になって
空無一物的空無一物的
奇跡の一つも知らないまま
困倦的早晨
[02:49.36]何にもない何にもない
將某人脆弱的未來
[02:59.93]眠い朝だって
當做墊腳石打個呵欠
誰かの儚い未來を
空無一物的空無一物的
踏み台にして欠伸して
幸福什麼的
[03:12.52]何でもない何でもない
竟是悲劇的終點站
[03:23.32 ]幸福なんかが
吶現在的我
悲劇の終著點だと
怎麼可能知道
ねえ今の僕に
不知名的犧牲者
知る由もないよ
也會覺得這夜晚是奇蹟的吧
名前も知らない犠牲者は
明天要是不會到來就好了
こんな夜も奇跡と思うでしょう
我也這樣覺得了
明日が來なきゃいいとか
是從何時開始呢
そこそこに僕は思うけど
已經習慣了都市
いつからか
也還記得熟悉的氣味
都會も慣れて
但卻因為麻煩和擔心
懐かしい匂いも知ってさ
連一句抱歉都說不出口
迷惑と心配ばかりで
空無一物的空無一物的
ごめんの一つも言えないまま
困倦的早晨
誰かの夢の続きで
在某人夢境的後續中
ハッピーエンドかもしれないから
也許是happy end也說不定
どれほど眩しいものか
空無一物的空無一物的
ねえ今の僕は
幸福什麼的
ねえ幸せでしょうか
是何等的眩目啊
もう誰も知らない
吶現在的我
おとぎ話
可以稱得上幸福嗎